織田信長・豊臣秀吉・徳川家康 戦国時代の覇者である彼らが、認め、欲しがり、畏(おそ)れた― 上杉謙信の落とし胤(だね)という秘密を胸に秘め、命を賭して上杉家を支える家老・直江兼続と、天下の傾奇者(かぶきもの)と名を轟かせた伝説のいくさ人・前田慶次。親兄弟すら信じられぬ群雄割拠の時代にあって、ふたりは立場や身分こそ違えども、互いのためなら〝黙って共に死んでやれる、終生の同志、莫逆(ばくぎゃく)の友であった。いかなる権力者たちにも屈することなく、兼続と慶次はただひたすら己の生き様を美しくせんと“義”に忠実に戦い抜き、激動の戦国末期を華麗に駆け抜けていく――
直江兼続:浪川大輔
前田慶次:佐藤拓也
茂助:川本成
中西次郎坊:郷田ほづみ
上杉景勝:安元洋貴
豊臣秀吉:上田燿司
前田利家:廣田行生
上杉謙信:てらそままさき
石田三成:加藤和樹
ナレーション:吉川晃司
監督:ボブ白旗
脚本:今川泰宏
キャラクターデザイン:河南正昭
音楽: KAZSIN
総監督:原哲夫
アニメーション制作:スタジオディーン
製作:ノース・スターズ・ピクチャーズ
原作「義風堂々!! 直江兼続-前田慶次 酒語り-」
原作:原哲夫・堀江信彦
漫画:武村勇治(月刊コミックゼノンにて連載中)
戦国末期、出羽国米沢堂森(上杉領) 月夜の庭に直江兼続と前田慶次の姿があった 「しばし昔を物語るかね…?」上杉家の存亡が掛った戦いで 「義」に生きた二人の武将が月に興じて盃を交わす 遡ること、天正16年夏の京 兼続は後妻(うわなり)打ちの見届け役を頼まれる 後妻の助っ人に天下無双のいくさ人、前田慶次がいた 次郎坊の情報で茂助を伴い兼続が向かったのは遊郭、西洞院 座敷で琵琶を奏でる慶次の背後に無言で立った兼続は―
刺客達を一閃のもと倒した慶次と兼続 二人の運命が大きく動いた瞬間であった 上杉家家臣、山田喜八の屋敷 前妻組と後妻組が揃い、後妻打ちが始まろうとしていた 庭に座し、虎皮の仮面を深く被り成り行きを見守る慶次 兼続が慶次の前に歩み出るが、その手には大きな包みと何故か蠅打ちがあった 兼続は蠅打ちを振り「邪魔立て無用」と包みを渡す 中身を見た慶次は震える手で刀に手を掛けるが、兼続から凄まじい覇気が吹き上り、その姿が―
「佐渡はいらにゃあきゃあ?」 佐渡平定を果たせ、と豊臣秀吉は上杉景勝に圧力をかける 蘆名氏の暗躍と聞き、景勝は眉間のシワを深く刻む 本国寺にて激昂する景勝に、兼続は言った 「これは罠かと」 二人は腹を決めた 西洞院の座敷で慶次に佐渡攻めについて語る兼続 そして慶次に別れを告げた 琵琶の音が流れる 上杉軍は本国寺を佐渡に向け出発した しかし異形の男が立ちふさがり鉄砲を弾くという 兼続は馬を駆り、異形の男と対峙したが―
天正16年6月 、佐渡平定に乗り出した上杉軍を陣中迎え入れるのは、 北佐渡の地頭、河原田本間高統(かわらだほんまたかつな)。 しかし、その裏には本間家 、ひいては豊臣秀吉の陰謀が潜んでいた。 鴻の川を挟んで河原田本間家の陣と羽茂本田家の陣が相対していたが同時に膠着状態だった。 大いびきを掻く高統に、藤田信吉が詰め寄る。 しか高統は言った「これは佐渡の戦だ、迂闊に動けない」 業を煮やした藤田信吉は、敵陣に突入を 図ったが―
鴻の川 が血で赤錆色に染まる。 旗も武器なく無抵抗に倒れていった老兵たちは、本間高統に家族を人質取られた農民であった。 兼続は老兵たちの進軍が秀吉の使者が到着するまで時間稼ぎだったことを見抜いてた。 そして旗印が南佐軍と北佐軍の口裏合わせとなっていたのだった。 旗があれば南佐軍は本気で戦わない、その油断を逆手に取る兼続の奇策。 「地獄も極楽先は有明の月心にかる雲なし」そこには兼続の見事な覚悟 があった…
佐渡平定の報を聞き秀吉は独りごちた 「兼続と慶次が欲しい」 佐渡では本間高季の首がさられていた、再起の為向かった越後の浜で討たれたのだ。 その潔さに義を感じる兼続と慶次、問題は義なき本間高統だった。 河原田城では宴が催されていた。 大トラになって踊る高統、景勝らは静か杯を傾けている。 兼続は銚子を差し向け高統にすめた。 ところが高統は役不足だと景勝を指し、なんと杯の酒を打ちかけた! そこには上杉家の秘中が潜んでいた―
堂森の地で月下に語り合う二人の前、水面に浮かび立ったのは、本能寺で自害し果てたはずの織田信長だった。 妙姫の檜扇を手にした兼続がその素生を追及され暴かれた後に、生きていられるはずが無い。 今なぜ、越後が滅びず兼続が生きているのか? 信長は手前の謀略と異なる国状に合点がいかず、再び魂となって二人の前に現れたのだ。 ありえない出来事に戸惑う事無く、兼続は語る 「それは、私が義の子であったゆえ・・・」
聚楽第の庭園で豊臣秀吉が告げた計略は前田利家を驚かすには十分過ぎるものであった。 由なるは佐渡平定の功労者である前田慶次の引見、だが秀吉の策には裏があった。 引見の仲立ち人を上杉景勝に申し付け、傾奇者の振る舞いの責任を追及する、これが越後国の命取りとなるのだ。 その様子をじっと座して見ていた秀吉の側近、石田三成は筆をとる。 計略を露知らず、春日山城近傍の山中の兼続は、一人の坊主と出会い茶を勧められたのだが…
共に上洛することを決めた兼続と慶次、それは勝てぬいくさであることを承知し、漢の義を貫いた清々しい生き方でもあった。 別々に分かれ、独り京に向かう兼続が安土に差し掛かった時、兼続の前に転がり出た人影はなんと茂助だった。 やっとのことで追いついた茂助は置いてけぼりを抗議する。 この再会に兼続は腑に落ちた。 ここ安土の地は与六と茂助が信頼深き間柄となった深くも哀しい出来事があった地だったのだ。
不敵な笑みを浮かべる徳川家康、憂慮する石田三成、そして豊臣秀吉、各々が上杉の上洛を待っていた。 慶次のとばっちりを危うんだ前田利家は、兼続の行程を挫こうと計を案じたが、ことごとく打ち払われ、上洛を阻むには及ばなかった。 肝心の慶次は既に京の遊郭、西洞院に忍んでいた。 薄雲の座敷で落ち合った兼続と慶次だったが、あろうことか酔客が薄雲を求めて乱入する。 その時、薄雲がとった機転に慶次は死中の活を見出したのだった…!
乱裁道宗を使って兼続を説得しようと試みた石田三成の思惑は悪い方向へ外れた。 落水城の因縁と案じた光成は秀吉に尋ねる。 「上杉を消すことは容易なはず、なぜ直江兼続にこだわるのですか?」 秀吉は答えた。 「さてな、だが、此度はどうやって越後を守るのか楽しみじゃ」 上杉の秘中の秘を知る三成は秀吉を守るため島左近を使いに出した。 左近が向かうのは…柳生の里。 そして越後国の運命がかかった上杉引見の日が昇る!
いくさの心構えで聚楽第に上った兼続と慶次。 対面した二人の眼前に座するは天下人、豊臣秀吉。 慶次の髷は天井高く立ち上がり、松の木の様に傾いている。 その髷を秀吉に向け叩頭すると、慶次の顔は秀吉を向かない。 慶次が頭を下げた時、聚楽第の広間に尋常ならざる空気が満ちた…! そして微かに腰を浮かす慶次。 二人の気持ちは三成に伝わっていたが、三成の思いは届いていなかったのか… 対する傍らの小姓から凄まじい気迫が立ち上り…!
上杉家の存亡と慶次の命がかかった謁見は、義風に満ちて幕を閉じた。 秀吉は越後を許した。兼続へのこだわりが解消したのだ。 その理由を聞き、目を潤ませる三成。 その言葉は三成にも向いていた。 秀吉と三成もまた、太い絆で繋がっていたのだ。 過去に信長が若き三成に伝えた、秀吉の心と兼続との縁がここに示されたのである。 竹林をゆく兼続の前に帯刀した小姓が立ちふさがる。 秀吉の傍に控えていた小姓であった。 その目は殺気に溢れていた…
―総集編 月夜の庭に茂助と次郎坊の姿があった 「しばし物語るかね?」「ああ、いたそう」 杯を合わせようとする…が届かず、茂助は池に真っ逆さま! 彼らの口から語られる、莫逆の友と呼ばれた直江兼続と前田慶次の物語。
上杉家に下命された小田原城攻め、小田原領主の北条氏政は禁を破って真田家の城を落とした。 よって秀吉は徳川・上杉・伊達に小田原攻めを命じたのだ。 そこで三成が兼続のもとへ遣わしたのが大谷吉継であった。 北条家には徳川家康の娘、督姫が嫁いでいた。 大谷はその身を傷つけてまで、徳川家康に小田原攻めを説得した男だった。 大谷は傷ついたままの身体で問う。 秀吉は上杉の謀反を危惧した。 大谷は自分の身を挺して使者の務めを果たそうとしていた。
天正18年3月― ついに秀吉は北条小田原征伐を開始した。 兼続ら上杉勢は松井田城を攻めていたが、北条氏の家臣大道寺政繁が籠城、戦況は一進一退であった。 そこへ、兼続は秘策があると言い、なぜか一頭の犬を連れ山に入った。 一方、秀吉の大進軍を駿府城で見送る家康だが、双方とも心穏やかではない。 兼続の策が功を成し、戦わず疲弊していく松井田城の兵士たち その夜、月が城に差し掛かる丘の上で兼続は美しい笛の音を聞いた―
小田原城を見渡せる笠懸山に設けた演舞台とその上で踊る肌も露わな遊女たち。 北条の戦意をそぐ秀吉の計略であった。 一方、徳川の家臣たちは上杉謙信の落とし胤の正体を暴く策を練る。 「玉眼をご存じか?」 玉眼とは水晶を磨き、模様と描いたもの。 これを菩薩像の目にはめ込むと本物と見紛うばかりの瞳となる。 謙信は、妙姫の供養に玉眼の制作を仏師に命じたというのだ。 兼続の瞳に同じ特徴があれば― 井伊直政は不敵に笑い、家康は身を乗り出した。
謙信と兼続の秘密を暴くため、菩薩像の行方を追う半蔵・左玄・井伊。 天正18年6月5日 ようやく奥州より伊達政宗が着陣したが、遅すぎる小田原到着に秀吉の怒りを買い箱根幽閉を命じられる。 兼続は八王子城攻略へ向かう前、片倉小十郎を訪れ箱根の湯に誘った。 小十郎の心情を察する兼続。 そこへ湯けむりの中から現れたのは小十郎の主君、伊達政宗。 二人の前で月夜に向かって拳を突き上げた。 「いずれはわしが天下人じゃ!」
政宗と小十郎の間にも強い絆があった。 「まるであやつのようじゃな」 秀吉は利休にこぼすのであった。 八王子城へ進軍する上杉軍を待ち伏せていた三葉葵の軍勢、それは家康であった。 挨拶を述べ行き過ぎようとする兼続に家康は井伊の醜態を詫びるが、不意に兼続の顔を凝視し― 徳川の企みを察した景勝と兼続、謙信の菩薩像を守るために次郎坊を走らせるが、左玄に拉致される。 瀕死の次郎坊の前に現れたのは、鎧をまとった巨大な獣だった。
左玄ら伊賀忍軍に捕らわれ、瀕死の次郎坊を連れ去った異形の魔物。 それほどの秘密を謙信の直臣でもあった次郎坊は握っていた。 それは、遡ること永禄二年(1559年)、長尾景虎(後の上杉謙信)と妙姫(当時の関白、近衛前久の妹)が、ささやかな情を交わしたことから始まった。 その夜、足利義輝将軍の名の下、近衛邸で催された祝宴に、景虎と若衆姿に扮した妙姫は大盃を交わす。 宴もたけなわの頃、何者かが侵入した気配を察した妙姫は―
秀吉の戦略は非情だった。 天正十八年六月二十三日、上杉、真田、前田の豊臣連合軍は一万五千の兵力を以て八王子城へ攻め入った。 抗する城側も農民混在のわずか三千の兵では、結末は火を見るより明らかなものとなった。 女子供も巻き込み、凄惨を極めた戦いはたった一日で終結、落城の報を受けた北条氏政、氏直は追い打ちをかけられる様に、 突如小田原城の眼前に現れた秀吉の石垣城を見て戦意を喪失。 一方的な戦況に、兼続は景勝に問う。
次郎坊、左玄、家康、そして島左近。 立場は異なれど、それぞれが謙信の地蔵菩薩像を追っていた。 そして最も手掛かりの近いところに辿り着いた次郎坊から、兼続に文が届く。 白雲に助けられ、絶体絶命の危機から脱した次郎坊は、妙姫の姉、大陽院のもとへ向かった。 そこで聞き取った事実は次郎坊を驚愕させたのであった。 その行方が記されていた次郎坊の文を読んだ兼続は、ふと息をこぼす。 地蔵菩薩像を持っていたのは…織田信長!
次郎坊と左玄は、灰燼と化した本能寺跡地で、信長の抱え忍びであった伴太郎左衛門より、 信長亡き後、地蔵菩薩像の在処を知る事が出来る手掛かりを「分けて」知らされたのであった。 それぞれ思惑を抱え、行動を開始する忍び達。 一方、兼続のもとを訪れていた島左近は、過去のしがらみから脱する事が出来ずにいた。 次郎坊は兼続の秘を守るため、たった一人で左玄ら伊賀忍軍と対峙している。 左近は二人の義に心打たれ、自らの生き方を決めた―
道中、旅籠にて左近は兼続に秀吉の病を告げる、そして軍師としての夢を語った。 早朝、旅籠を発とうとした兼続の前に赤く染まった巨体が現れた。 白い体毛が血塗れた白雲の背には、左玄ら伊賀忍軍の待ち伏せを受け深手を負った次郎坊がいた。 息も絶え絶えの白雲は力尽き身体を折る。 兼続の元へ、命懸けで次郎坊を送り届けた白雲の忠義であった。 白雲の息が細くなっていき― 次郎坊と合流した兼続一行は地蔵菩薩を守るため、秘策を打って高野山へ向かう。
高野山墓地で兼続を待ち構える下坂左玄ら伊賀忍軍総勢三百人! 対して、七人で挑む兼続らの秘策は、三千人の農民で小田原の役を供養し墓地を埋め尽くすこと。 追い詰められた左玄は徳川仕えの身分を捨て、兼続と刺し違える覚悟を示す。 そして伊賀忍軍を農民として紛れ込ませた。 ここで兼続は傾く― 鉄扇を手にした兼続は三千三百人の輪に飛び込み、舞を舞った。 上杉存亡の秘が込められた地蔵菩薩を巡る戦いが、義を以ってここに決着する。