戦国時代後期、500年余りにわたる紛争が人々を苦しめていた。六国の勢力が弱まる中、秦国は天下統一に向けて頭角を現わす。紀元前259年冬、趙国・邯鄲で人質となっていた秦国の王孫・エイ異人(シン・バイチン)とその妻・趙姫(チュウ・チュウ)の間にひとりの子が誕生し、エイ政(チャン・ルーイー)と名付けられる。紀元前251年、孝文王の即位により太子となった異人は、紀元前250年、1年の服喪期間後に即位してわずか3日の孝文王が死去し、王位を継くことに。異人は呂不韋(ドアン・イーホン)を丞相に就かせて東周を滅ぼし、治国安民を築いていく。長きにわたり敵国をさすらい秦へと戻ったエイ政は、慣れない咸陽で王位に就いた父との確執を消せずにいた。そんなエイ政に天賦の才を見いだした呂不韋は、エイ政に太子の位を与えるよう異人を誘導し、エイ政に接近する。
■キャスト
チャン・ルーイー
ドアン・イーホン
リー・ナイウェン
ヴィヴィアン・ウー
チュウ・チュウ
シン・バイチン
■スタッフ
監督:延芸、顧其銘、強龍、劉永涛
紀元前259年、長平の戦いの後、確執から秦は趙の都邯鄲を攻略する。邯鄲に人質として滞在していた秦国太子安国君の子、嬴異人(始皇帝の父)は呂不韋に促され、邯鄲を脱出しようとする。妻の趙姫および子の政(後の始皇帝)は邯鄲にとり残された。おとりとして追っ手の目をくらまそうという呂不韋の考えである。嫡子の地位を狙い、帰郷を快く思わない嬴傒(異人の異母兄弟)も異人を追う。追われながらもようやく秦の都咸陽にたどり着いた一行は、目立たぬよう監獄に身を潜めた。
呂不韋は安国君の奥方である華陽夫人に面会し嬴異人を養子にするよう薦める。一方嬴傒は嬴異人を連れ去ろうと監獄に押し入るが、すんでのところで華陽夫人の弟の陽泉君に救われる。嬴異人の妻の趙姫と息子の政は申越に連れられ邯鄲脱出を試みるが、魏の援軍が駆けつけたためやむなく趙の城内に留まる。華陽夫人は養子縁組の条件として韓王の娘との結婚を突きつけ、呂不韋に説得された異人はやむなく韓霓と結婚する。
子楚は正式な嫡子となった。その加冠の儀で嬴傒に襲われた呂不韋は、自分をかばい刺された子楚に深い感謝の念を抱く。それからまもなく西周君が周の天子をいただき、合縦軍とともに秦への攻撃を始めた。戦いは秦が優勢となり、子楚は監軍役として和議に臨むものの、合縦軍の平原君は趙姫と政の命を交換条件に秦へ譲歩を迫った。子楚は苦悩するが、毅然として譲歩を突っぱね、西周の領土を手に入れた。趙姫と政は趙へと戻されたが、子楚は2人を必ず連れ戻すと決心するのだった。
秦は西周の領土と王権の象徴である九鼎を手に入れるが、途中の混乱で豫洲の鼎は泗水に沈み、嬴子楚(旧名嬴異人)も病に倒れる。秦の昭王の夢に嬴政が現れ、それが子楚の息子であることを知った昭王は趙から呼び戻すよう言い残して死ぬ。昭王崩御を知った趙王は王権交替の隙を狙って領土奪回を画策する。趙に残された嬴政は少年に成長し、申越から教えを受ける。同じく人質となっていた燕の丹王子に狼の子を見せに行くが、趙の王子趙偃に奪われて殺されてしまう。
趙の攻撃をかわすため、秦は燕との協力を目論む。この案を出した呂不韋は太子の教育係である太子傅となった。秦王にねぎらわれた呂不韋は心からの忠誠を誓う。燕からの攻撃を受けた趙は秦攻めを断念するとともに趙姫、嬴政を秦に送り届け、盟約を結ぼうとする。親子が秦に来ると知り、喜ぶ子楚だったが、同時に韓霓を正妻に選ぶよう華陽夫人に迫られ、苦悩する。ようやく咸陽にたどり着いた趙姫と嬴政だったが、華陽夫人の意を受けた陽泉君により、入城を拒否されてしまう。
趙姫と嬴政は辺境から戻った嬴傒の口添えで入城を許され、大王の嬴柱は嬴政に秦王の象徴である刀を授ける。王妃もしぶしぶ子楚に母子との生活を許す。子楚との関係を修復しようと挨拶に訪れた陽泉君だが、庭先で嬴政と争いになり、刀を振り回した嬴政を子楚が危うく止める。昭王の葬儀に参列すべく6国の使節が到着するが、時同じくして趙が燕に大勝したとの情報が入る。趙との交渉を有利に進めるため、秦はこの情報を趙の平原君の耳に入れないよう画策する。
策にはまり、秦と盟約を結んだ平原君は孝成王になじられ、その場で息絶えた。秦では嬴柱が即位するもわずか3日で崩御し、子楚が慌ただしく新王となった。呂不韋は密かに歓喜し、子楚の妻趙姫も正妃としての立場を満喫する。丞相には陽泉君が内定していたが、子楚は呂不韋を強引に任命したため、華陽太后や臣下の間には不満が渦巻く。そんな中、謁見に向かう呂不韋の車を狙う集団が…。
子楚は嬴傒の宗室への影響力を利用すべく、嬴傒を要職に任命する。呂不韋は華陽太后に面会し、自分への陽泉君の暗殺未遂を追求しない代わりに自分が丞相になることを認めさせる。さらに東周討伐の勝算が高いことを見てとった呂不韋は、大臣たちに自分を認めさせるため自ら主将として兵を率いて戦地に赴く。東周君は各国に援軍を頼むが、援軍に来たかに見えた韓と魏は東周の領土略奪を始めてしまう。
東周はあっけなく陥落し、秦はますます領土を広げる。聡明な若者に成長した嬴政は華陽太后と政治談義をするほどになっていたが、毒殺未遂に遭う。下手人を巡り、朝廷には波紋が広がった。荘襄王の体調が思わしくない中、呂不韋は天下の俊才を秦に集めようと斉の稷下学堂に使いを出し、広く人材を求める。稷下学堂を率いる荀子の元で学ぶ李斯は自身の学問を秦で活かそうと求めに応じる決心をする。
呂不韋は子楚に嬴政を早く太子に立てるよう進言し、子楚は宗室の宴席で嬴政立太子を宣言しようとするが、宴席上で華陽太后の仕組んだ演目で母の趙姫を侮辱された嬴政は役者を殺してしまう。子楚は嬴政と趙姫を監禁し、自身も心労で倒れ、華陽太后は子楚に成嬌を太子にするよう迫る。陽泉君は嬴政の出自について嬴傒に耳打ちし、嬴傒は疑惑を抱いて監禁中の趙姫を訪ねる。
監禁されていた嬴政は、自身の出自にまつわる噂を聞き、激しく動揺する。噂は貴族や宗室の者の間にも広まっており、太子擁立を巡って様々な思惑が渦巻く。蒙毅、蒙恬の助力でからくも脱出した嬴政は呂不韋の元を訪れ、噂の真偽を問いただした。秦王の血を継ぐ者として強く生きるよう諭された嬴政は、改めて天下統一を心に誓う。嬴政と和解した呂不韋は荘襄王を救出すべく、宮殿に向かった。
呂不韋は閲兵式のため集結した1万の大軍を後ろ盾に大臣と宗室とともに王宮の門を突破し、陽泉君とにらみ合いの状態が続く。王宮内では嬴傒が趙姫を救出、嬴政が子楚を救出し、一触即発だった呂不韋と陽泉君の前に現れたことで衝突を回避する。華陽太后の企ては失敗し、子楚は嬴政を正式に太子に立て、閲兵式で嬴政に支えられながら亡くなる。
ついに嬴政は秦王となった。呂不韋は相邦となり、嬴政の仲父(おじ)の立場で今まで以上に強大な権力を持つ。年若い嬴政が王となったことをチャンスとみた趙は秦攻めを楚に持ちかけるが拒否されてしまい、手をこまねいている。そんな中、バカにしていた嬴政が王となったことに怒りをたぎらせる趙偃は、自身も王になろうと太子の座を狙いはじめた。天下統一を見据え、呂不韋は天下に人材を広く求めたため、館には才を誇る者が多数詰めかける。その中には稷下学堂の俊才、李斯の姿もあった。
趙姫は先王亡き後、咸陽での後ろ盾を求めて呂不韋に急接近する。相府の舎人として入った嫪毐は酒屋でただ食いをしようとして袋叩きにされるところを李斯に救われる。通りかかった王綰は嫪毐を助けた男が稷下学堂の李斯と知って呂不韋に紹介しようとするが、李斯は呂不韋の方から呼ばせて見せると言って断る。李斯は相府の前に秦の天下統一の必要性を落書きし、それを読んだ呂不韋は李斯を相府に舎人として招き入れる。呂不韋は朝廷で政治の采配をふるい始め、政に斬首の功の廃止を決定事項として告げる。
秦は東方進出を再開した。法による統治を進める呂不韋は、廃止した斬首の功を敢行した麃公を引退に追い込む。法治には理解を示すも独裁を進める呂不韋に嬴政は複雑な思いを抱く。秦の圧政に悩む韓では王子である韓非が政治改革による富国強兵を進言するも取り入れてもらえない。また趙では太子の座を狙う趙偃が毛遂の取り込みを図っていた。趙姫からのとりなしもあり、嬴政は呂不韋が進める政綱に目を通し始めた。そこに李斯の名を発見し、大いに興味を抱く。
韓王は秦の東方進出の勢いを弱めるため、鄭国を送り込んで大規模な灌漑水路の建設をさせようと目論む。呂不韋の丞相就任祝いの特使として派遣された鄭国は、韓非の友人であった李斯を訪ね、李斯は王綰をたきつけて呂不韋に鄭国を受け入れさせる。一方趙の特使として派遣された毛遂は呂不韋に太子の趙佾を人質として呼ぶよう誘い水をかけ、呂不韋は姚賈に趙から趙佾を連れてくるよう命じる。
呂不韋の下で働く嫪毐は、突然重罪により宮刑に処すと宣告される。無罪を主張するも取りあってもらえず拘束されたが、気がつくと趙姫がいる宮中に運ばれていた。李斯は一旦秦を離れようとするが、呂不韋に引き留められる。話し合いの中で2人は政治的立場の違いを悟るが、呂不韋は改めて李斯の才能を確信し、嬴政の近くにいられるよう手配した。趙では太子趙佾を人質として秦に送るか否かで紛糾していた。趙偃の意をくんだ毛遂に説得され、趙王は最後の判断を下す。
趙王は太子の趙佾の代わりに趙偃を人質で送ろうとするが、趙偃は愛妾の計らいで秦の使節の姚賈から圧力をかけ、さらに毛遂が趙王を説得して趙佾を送るよう呑ませる。李斯は樊於期の元で守衛として勤めていたが、庭石に秦を批判する文字を彫り捕らえられ、尋問で自らの理念を語る。
趙の太子趙佾が人質として咸陽に来ることになった。邯鄲時代を思い出し、復讐を果たそうと考える嬴政だったが、呂不韋や初めて言葉を交わした李斯に諫められ、はやる心を押し殺す。しかし趙攻略の計画を聞かされていなかった趙姫が趙佾を苦役につかせると発言してしまう。秦における太子の処遇を聞いた趙王は激怒し、諸臣が止めるのも聞かず秦攻めを敢行するも、落馬して病床につく。趙佾を連れ戻すべく秦に向かった毛遂だが、趙堰の意を受けた郭開が後を追っていた。